
(輪島塗) 皆朱口金 コッコウ型 親・平・二・坪 明治30年12月吉日
輪島は古くから漆器の産地として知られ、江戸時代には、木地挽師(ろくろ)・木地拵師(指物)・下塗り、中塗り・研ぎ・上塗り・加飾(沈金・蒔絵)など分業制が発達し最終的に製品に責任を持つ「塗師屋・ぬしや」が全国にそれぞれ得意先(縄張り)を持ち、注文取りや製品の納入、修理に、11月12月の頃にそれぞれ得意先周り(行商)をしたそうです。今回の膳や椀の箱書きとも一致しています。
それらの包み紙は、習字の手習いや大福帳の紙(和紙)がつかわれていましたが、(昔の方は大事にとっていたのですね!)

惣朱 請合 能登輪島 大極上塗物(一ッ丁) 竹園吉治 と印刷(印判?)された和紙の袋、大きさから朱塗り口金の椀でしょうか。数枚出て来ました。輪島へ尋ねたところ竹園吉治さんは明治時代に「塗師屋」として商売をされ、後継者が昭和40~50年頃まで営業されていたそうです。そして一緒に出てきた着物、袴姿の若い女性の絵、なにかの下絵でしょうか、文字は達筆すぎて読めませんでした。